色の魔術師・Panasonic FS-A1 -1986-FS-A1はMSX2という規格のパソコンの1つです。MSXはMicrosoftとASCIIが提唱したパソコンの共通規格で、それに賛同したメーカー(主に家電メーカーでした)が独自の特色を持たせたMSX規格のパソコンをいろいろ発売しました。 MSXの特徴と言えば、やっぱりスプライト機能を持っていることでしょうか。1枚に1色しか使えないとか、同時に32枚しか出せないとか機能的に貧弱な面があったものの、ゲームを作る上でこの機能のあるなしはやはり大きく、昔も今と変わらずパソコンの用途の1つとしてゲームが大きなウェイトを占めていましたので、MSXの重要な特徴の1つと言えました。この機能のおかげか、MSXには他の8bitパソコンよりまともなアクションやシューティングが多く出ていたように思います。コナミのおかげ、かもしれません。 初期のMSX2は他の8bitパソコンと同様、そこそこ値段のするパソコンでした。MSXに付けるとMSX2になるカートリッジが発売されたりもしていたくらいです。そしてMSXと同様に、いろいろなメーカーからいろいろなMSX2が発売されていました。 きっかけは中学3年の時、友達が持って来た1冊の雑誌でした。MSX2は最大256色出るのですが、その雑誌にカラー写真で256色をグラデーションのように全部並べた写真が載っていました。当時の8bit機のグラフィックはたいていデジタル8色。X68000は値段が高くて本当に「あこがれ」のパソコン。そんな時代の私たちにとってその写真は「3万円のパソコンでこんなにきれいなグラフィックが!」という感じで結構衝撃でした。その後この衝撃を受けた友達何人かが、高校受験の前であるにもかかわらず、A1やF1を購入していきました。 私にMSX2を購入する決心をさせたもの。それは「悪魔城ドラキュラ for MSX2の発売」でした。 A1とF1の違いは、F1にはスピードコントローラー(スピコン)と呼ばれるスライドスイッチ(?)がついていることだけでした。スピコンは、それを調整することによってソフトの処理速度を変化させることができ、例えば難しいアクションゲームでもスピードを遅くすれば誰でも楽しめる、そういう機能です。しかし、他のMSX2よりスピードを速くできるわけではありませんでした。速くできるのならF1だったのですが、遅くするだけの機能なら意味はないので安いA1を買うことに決めました。 |
FS-A1は本体とキーボードが一体型になったデザインの真っ黒いボディで、オレンジでロゴマークとかが描いてあります。RAM 64KB、VRAM 128KBでカートリッジスロットが2つついていました。上のカートリッジスロットはちょっと安っぽいかっこわるい、ぱかっと開く感じのカバーがついてました。コストダウンの影響を受けているのは今も昔も変わらずやっぱりキーボードで、かなり安っぽいキータッチだったと記憶しています。しかしMSXの低価格機には、通称「消しゴムキーボード」と呼ばれるゴムっぽいキートップを使っているものもあって、それに比べれば十分実用になる、値段の割には良いものだったかもしれません。なお、テンキーはありませんでした。 A1を買った後の春、SONYとPanasonicからこれまたそれまでとは比べものにならない位安い、MSX用のフロッピーディスクドライブが発売されました。2DDシングルドライブで4〜5万円くらいだったでしょうか。 FDDの代わりに買うことになってしまったワープロプリンタですが、こちらは不安いっぱいだった私を横目に一発であっさりとなんの問題もなく使えました。 |
PC-6001mkIIでマシン語を少しかじったのですが、MSX2ではまたBasicに戻ってしまいました。初めて作ったのは「台形の面積を求めるプログラム」だったと思います。上底と下底と高さを入力すると面積が出る、ただそれだけのものです。なぜ「台形」なのかと言えば、あのMZ-2000と衝撃の出会いの後、ナイコンのままノートに動くかどうかわからないまま、プログラムを書いていた時期がありました。そのころちょうど台形の面積を求める公式を習った所だったため、私が初めて書いた記念すべきプログラムは、台形の面積を求めるプログラムになりました。それ以来、何かで最初なプログラムはだいたいこの台形の面積を求めるプログラムにしているのです。一種の儀式ですね。 中学生の時つくば科学万博がありました。3回ほど見に行ったのですが、その中の富士通のパビリオンでは赤青メガネを使った立体映像を見せてくれました。その後パソコンでこの立体映像を描けないものかとPC-6001mkIIで挑戦したことがありました。しかしその貧弱なグラフィック能力では、というより赤青メガネのフィルターにあった色が出せず、うまく行きませんでした。 またある日、適当なスプライトエディタが欲しかったのでBasicで作っていました。この当時セーブはもちろんテープに行っており、データレコーダはPC-6001の時から使っているNECのを使っていました。しかしこの日、作ったプログラムをセーブしようとしたのにデータレコーダがうまく動きませんでした。5年くらい使っていましたから「ついに寿命か!?」と思いましたがしかし、セーブしないとせっかく作ったプログラムが消えてしまいます。そこで急遽友達に電話をし「データレコーダ貸してぇ」。友達の家までデータレコーダを借りに行き、何とかその場をしのぎました。その後このNECのデータレコーダはなぜか復活し、HB-F1XDを買ってフロッピーがメインになるまでは何とか持ちました。 MSX2を買って1年近くはずーっと、PC-6001mkII時代に買ったジョイカードを使っていました。ちょうどこのころ、電波マイコンソフトが「XE-1PRO」というかっこ良いジョイスティックを販売し始めました。物理的に8方向入力と4方向入力を変えられる複雑な機構の付いたマイクロスイッチ式のスティックに、独立して連射速度を調節できる2つのスライドボリューム、連射スピードを目で見れる5つのLED、好みに合わせて角度を変えられる回転テーブルに乗った2つのトリガーボタンなどの使いやすさを追求したすごいジョイスティックでした。また、ジョイスティック端子に電源の出ていないX1シリーズでも使えるように、電池ボックスを内蔵し電源スイッチが付いていました。定価9500円。送料500円。欲しいけどさすがに1万円はちょっと・・・なんて思ってました。 サラマンダといえば、サラマンダを買った直後の大晦日、紅白歌合戦を見ていた所友達から遊びに来ないかと電話がありました。友達もやっぱりA1ユーザーで、やっぱりサラマンダを買った人でした。そこで私はご自慢のXE-1PROを持って遊びに行き、友達とサラマンダで2人プレイなどして遊び、そのまま新年を迎えて、年越しサラマンダをしてしまったことがあります。 たまたまサラマンダが話に出ましたが、特に例を挙げるまでもなく、MSXシリーズでゲームをやる人間にとってコナミの存在は非常に大きいものでした。コナミは定期的にMSXシリーズ用ソフトを出し続け、その多くが「名作」と言われても異論のでないようなおもしろさと完成度を誇っていました。MSXシリーズの人気は、A1やF1などの低価格マシンの登場と、このコナミが良質のゲームを出していたからに他なりません。 XE-1PROを使い初めて数ヶ月たった頃からでしょうか、ジョイスティックが利かなくなることがあるようになりました。どこが悪いのかと思ったのですが、A1側のコネクタを下に押してやると直ることが多かったため、コネクタの接触不良のようでした。どうやら、XE-1PROのコネクタが硬いため、どうしてもコネクタを抜くときにぐにぐにと動かしてしまうのが原因でそうなってしまったようです。 - MSX2のグラフィックモード(MSXとの互換部分をのぞく) -
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