その旋律に心打たれて・SONY HB-F1XD -1988- 初めて秋葉原以外で買ったパソコンです。F1XDはキーボードと本体と3.5inchフロッピーディスクドライブが一体型になったデザインで、黒いボディに右横奥に付いたFDD部分の赤が映えていました。またその手前、キーボードから見て右奥に、集中インジケーターとしてLEDが並んでおり、これがなんかすごくかっこ良いと思ってました。 |
このときはちょうどSONYがキャンペーンをやってて、「F1ツールディスク」といういくつかプログラムが入ったソフトをおまけに付けてくれるはずでした。買うとき私はてっきり本体の箱の中に入っているのだと思ったのですが、それらしい物は入っていませんでした。そこでお店に電話をして、あまりそっちの方へ行くことがないので「送ってくれないか」と頼んでみました。すると店員は「今無いから入ったら連絡する」と言うので、そう約束して電話を切りました。しかし数週間たっても連絡がなかったので電話して「そっちへ行く用があるからあるなら取り行くけど?」と言ったら「あ、昨日入ったんですよ」だって。送るのイヤなら初めからそう言ってくれれば適当に取りに行ったのにって感じでした。 せっかく良いお絵かきソフトを手に入れたので、へたくそながらもいくつか絵を描きました。初めはジョイカードで書いていたのですが、せっかくなのでマウスを購入しました。MSX用マウスはジョイスティック端子につける2ボタンマウスです。ちなみにこのMSXマウスの仕様はFM-TOWNSに採用されたため、MSXとTOWNSでマウスを共用できます。 |
MSXにはPC-9801シリーズ用のハードディスクを付けるためのインターフェースカートリッジが出ました。私は一応ハードディスクという物は知っていたものの、実際に見たことはありませんでした。ところが友達が「え、ダイクマに売ってるよ。500円くらいだったかなぁ」とか言うんです。私はダイクマにハードディスクが売っていたのなんて見たことありませんですし、ましてや500円なわけはありません。 それまでMSX2は自分の部屋のテレビにビデオケーブルでつないでいました。しかしそれではにじんでしまって、MSX2のもっとも解像度の高いモードでテキストを読むことがかなり困難でした。ゲームをする分にはあまり関係ないのですが、プログラムを組むときなどはやはり画面に出来るだけたくさんの文字が見えた方が便利です。 プログラムは相変わらずBasicで作っていました。私がいつまでもBasicをやっていた理由は、1つにはやはりベーマガの存在がありました。マシン語を使ったプログラムも載りますが、基本はやはりオールBasic。発表する場があるというのはやる気が出るという意味でも重要なことで、その場であるベーマガがBasicをメインとしているために私もBasicをやっている、という感じでした。もう1つの理由としては、私の向上心のなさというか、めんどくさがりやの性格というか。不幸なことに、直接の友達に自分よりパソコンやプログラミングに詳しい人に出会えなかったため、Basicでプログラムが組めるという時点で満足してしまっていた感がありました。 FATという言葉が出てきましたが、MSXのFDのフォーマットはMS-DOSと互換性がありました。というより、初期のMS-DOSを元にしたMSX-DOSというソフトがありました。PC-9801などはBasicとMS-DOSでフォーマットが違ったらしいですが、MSXではマイクロソフトが規格に参加しているだけあってそんなことはなく、BasicでもMSX-DOSでも同じフォーマットでした。 MSX2のBasicは普通のMicrosoft Basicなのですが、その命令の中ですごく強力で好きだった命令がありました。それがCOPY命令です。 他のMSX2-Basicのおもしろい点としては、割り込みに関する命令がいくつかあることでしょうか。 |
MSX2の音源はPSG3声だというのは前に書きましたが、それを拡張するものとしてPanasonicからFS-CA1(MSX-AUDIO)というのが出ました。これは、FM音源(9声)とPCM音源(1声)を積んだ物で、FM音源はモノラルだったことも含めてX68000に質的にかなわなかったものの、PCM音源はX68000よりも良い物を積んだなかなかすごい物でした。しかしその形状は、横幅がFS-A1と同じだけあり、A1の上のカートリッジスロットに挿したときにデザイン上もっともぴったりくるもので、挿すとキーボードの奥に横長の壁が出来るような感じでした。ノートパソコンの液晶を上半分切り取った感じでしょうか。この異様なまでに大きく、特異な形状のカートリッジは当時のFS-A1シリーズ以外にはデザイン上マッチせず、物理的に使えない機種も多くありました。FS-A1シリーズを買わせるためにわざとやったのではないかという話も出たくらいです。PCM用のRAMを多く積むために大きなカートリッジになったという説もあるようですが、そのために値段が高く、対応ソフトもほとんど出ず、ゲームをするだけだった大半のユーザーに無視されてしまったようでした。 私はまだ対応ソフトの少ない、比較的初期の頃にFMPACを購入しました。そのため他のMSX2ユーザーな友人達に、「えぇー、そんなの買ったのぉ?もったいない」と言われてしまいました。 この当時結構ゲームミュージックがはやっていたように思います。アーケードゲームの音源スペックが上がったこと、パソコンではイースなどの単独でも十分鑑賞に堪えうる音楽が出てきたことなどがきっかけとなったのでしょう。ゲームミュージックのCDが次々と発売され、私も友達から借りたり、自分で買ったりしてよく聞きました。 私は初めは全部Basicで作っていたのですが、マシン語を使用してPSGでドラムを表現するプログラムを作成して、それを使ったゲームミュージックのプログラムを作成しました。このマシン語プログラムは、PSGでPSGのノイズの制御やポルタメント(だっけ?音程が連続的に下がっていくの)を行うための物です。これを実現するために私は垂直帰線割り込みを使いましたが、いまだにこういう時に使う割り込みはもっと適切なのがあったんではないかと思ってます。MSXにタイマー割り込みがあったのかどうかというのは知らないのですが。 素人な自分にもベーマガに掲載されるような音楽のプログラムが作れた理由として、MSX-MUSICの中途半端な性能のおかげがあると思います。 音楽と言えば、MSXにもMIDIカートリッジが出ました。しかし、ナムコがMIDI対応でドラゴンスピリットを出すようなことを言っていたのに結局出ず、おそらくツールが1〜2個くらい出ただけで終わってしまったのではないかと思います。 |
それまではずっとハンドアセンブルでマシン語をやっていたのですが、アスキーから安いアセンブラが出ているのを発見したのでそれを購入してみました。 MSXシリーズは、MSX2のあとMSX2+というのが出ました。MSX2+は横スクロールのサポートと19268色モードの追加、規格としてMSX-MUSICの採用といった点が変わりました。 その後MSX TurboRというのが出ました。私はこれが出る直前にX68000に寝返ってしまったのであまり詳しく知らないのですが、CPUがR何とかというZ80互換の16bitCPUになり、
PCM音源も標準装備したようです。グラフィックの能力が変わったかどうかは記憶していません。 ハードウェアとしてのMSXはTurboRで終わってしまいましたが、MSXのディープなファン達が「MSXエミュレーター」という他のパソコンでMSX用のソフトを動かしてしまおうというソフトを開発しています。日本でメジャーな最近のパソコンにはほとんど対応しているので、パソコンの統一規格というMSXの精神がユーザーによって受け継がれているようにも感じられます。Javaよりも対応機種は多いようなので、独自に拡張した規格を立てればJavaの向こうを張る裏の統一規格になるかもしれません。Javaとはコンセプトが違いますが。 MSX2とは結局3年半ほどのつきあいでした。MSXはその普及率と人気のおかげでソフトもハードも安くて種類が豊富にあったというのが魅力の1つだったと思います。あとグラフィック関係の機能が豊富で、VDP命令でVDPを直接たたいて何に使うのかわからないような機能をいろいろ試してみるのも楽しかったです。多くのユーザーはゲームオンリーだったのではないかと思いますが、ユーザーが多いので雑誌などでもいろいろな話題が出て、パワーユーザーによるおもしろい試み、例えばカセットインターフェースを使った1bitサンプリングなども出て、楽しかったと思います。私もプログラムを入力してサンプリングしましたが、ノイズがひどくてとても実用にはなりませんでした。しかし、サンプリングできるというそのこと自体がおもしろくて、結構遊びました。 |