その旋律に心打たれて

・SONY HB-F1XD -1988-

HB-F1XD

 初めて秋葉原以外で買ったパソコンです。F1XDはキーボードと本体と3.5inchフロッピーディスクドライブが一体型になったデザインで、黒いボディに右横奥に付いたFDD部分の赤が映えていました。またその手前、キーボードから見て右奥に、集中インジケーターとしてLEDが並んでおり、これがなんかすごくかっこ良いと思ってました。
 FDDは2DD1基で右横からメディアを挿入するようになっていまして、その下にジョイスティック端子が2つついていました。このFDDの位置が意外に絶妙で、ノートパソコンのFDDほど下過ぎず、ちょうど右手を伸ばした位置にあるので結構使いやすかったです。
 RAM64KB、VRAM128KB、カートリッジスロットは2つでした。特有の機能としては、処理速度を遅くできる「スピードコントローラー(スピコン)」、ジョイスティックのAボタンやスペースキーに連射機能を与える「連射コントローラー」、ハード的にポーズ機能を提供する「ポーズボタン」などが付いていました。あとA1にはなかったと思いますが、リセットボタンが付いていました。これで、定価は覚えていませんが、4万円台で買ったような気がします。
 念願のFDDと言うことで、FD版ヤシャと、生メディアを数枚買いました。生メディアは2DDのカラーディスクが1枚350円でした。ヤシャは、好きだったファイナルゾーンを作ったウルフチームのゲームということで期待していたのですが・・・。ま、その話はソフトのところでじっくりとします、ということで。
 買った帰りの電車の中で、たまたま向かいに座った男の子が「あ、F1XDだ。」って言ったのがなぜかうれしかったのを覚えています。

HB-F1XDの側面

 このときはちょうどSONYがキャンペーンをやってて、「F1ツールディスク」といういくつかプログラムが入ったソフトをおまけに付けてくれるはずでした。買うとき私はてっきり本体の箱の中に入っているのだと思ったのですが、それらしい物は入っていませんでした。そこでお店に電話をして、あまりそっちの方へ行くことがないので「送ってくれないか」と頼んでみました。すると店員は「今無いから入ったら連絡する」と言うので、そう約束して電話を切りました。しかし数週間たっても連絡がなかったので電話して「そっちへ行く用があるからあるなら取り行くけど?」と言ったら「あ、昨日入ったんですよ」だって。送るのイヤなら初めからそう言ってくれれば適当に取りに行ったのにって感じでした。
 このF1ツールディスクにはいくつかツールが入っていたのですが、まぁほとんどくだらないものでした。しかしメインと言えるものが1つあって、それはオリジナルのグラフィックエディターなのですが、256色モードはもちろん16色モードにも対応していたり、データを圧縮してセーブする機能をも持った大変よくできたツールでした。機能的には、一般的な描画はもちろん、ルーペ、アンドゥ、スプレー、ペン先エディット、パターンペイント、回転拡大縮小などなど。しかし今思えばエフェクト系の機能がなかったように思います。256色だということを考えれば私には十分でしたが。
 これの欠点はむしろ、紙1枚の説明書が意味不明でなにも書いてないに等しかったことでしょうか。このせいでせっかくの豊富な機能を理解するのに時間がかかってしまいました。
 このツールを、以前A1用に買ったFDDが動かなかった時に、買ってあったT&Eのツールを売った友達に見せた所、「何だよ、こっちのが良いじゃん」って言ってました。

NEOS Mouse

 せっかく良いお絵かきソフトを手に入れたので、へたくそながらもいくつか絵を描きました。初めはジョイカードで書いていたのですが、せっかくなのでマウスを購入しました。MSX用マウスはジョイスティック端子につける2ボタンマウスです。ちなみにこのMSXマウスの仕様はFM-TOWNSに採用されたため、MSXとTOWNSでマウスを共用できます。
 描いた絵は、GUNDAMとかZ GUNDAMとかνGUNDAMとか・・・(^^;。これらは線で描いて色を塗っただけの単純な絵で、光の当たり方を一応考えて、面ごとに明るさの違う色で塗ってあったのですが、たまたま遊びに来た友達にそれを見せたところ「どうやってるの?」と聞かれてしまいました。私にはどうしてそういう疑問が出てくるのかが理解できず、「こういう色で塗っているからだ」としか答えられませんでした。その友達は当時ファミコンしか持っておらず、ファミコンの画面くらいしか見たことがなかったため、面ごとに微妙に違う色で塗られているのが何か特殊な技法を使って表現したことのように思えたようです。
 やがてMSX2がファミコンとは比べものにならないほどのグラフィック能力を持っていることを理解すると、友達はMSX2を買うことを宣言、数週間後には私を伴ってMSX2を買いに行きました。
 友達が買ったのはPanasonicの、機種名を忘れてしまいましたがFS-A1にFDDを内蔵したモデルでした。外見は分厚いA1。普段F1XDを見ている自分にはひどく格好悪く見えました。最悪なのがFDDで、キーボードの下手前の非常に狭い・薄い位置に付いていました。そのためメディアの出し入れがしにくく、買った友達も「使いにくい」と言っていました。
 ただし良いところもあって、定価がF1XDと同じなのに、こっちは第一水準漢字ROMを内蔵していました。友達はこの点を見てA1を選んだ様です。
 その後この友達はMSX2でお絵描きをしていましたが、やはりMSX2では満足できなくなったらしく、1年後くらいにX68000を購入してました。

 MSXにはPC-9801シリーズ用のハードディスクを付けるためのインターフェースカートリッジが出ました。私は一応ハードディスクという物は知っていたものの、実際に見たことはありませんでした。ところが友達が「え、ダイクマに売ってるよ。500円くらいだったかなぁ」とか言うんです。私はダイクマにハードディスクが売っていたのなんて見たことありませんですし、ましてや500円なわけはありません。
 よく話を聞いたところ、どうやらその友達は「2HD」のフロッピーディスクを見て、HDと書いてあるのでそれがハードディスクだと思ったというオチでした。

HB-F1XDの背中

 それまでMSX2は自分の部屋のテレビにビデオケーブルでつないでいました。しかしそれではにじんでしまって、MSX2のもっとも解像度の高いモードでテキストを読むことがかなり困難でした。ゲームをする分にはあまり関係ないのですが、プログラムを組むときなどはやはり画面に出来るだけたくさんの文字が見えた方が便利です。
 雑誌の広告を見ていたところ、富士通のFM-77AVシリーズ用のディスプレイテレビが在庫処分か何かで安く売っているのを発見したので、それを購入することにしました。使っていたテレビをまたまた弟に9800円で売り、RGBケーブルとともに通信販売で購入しました。4万円代前半だったと記憶しています。
 型番は忘れてしまいましたがシルバーグレーの15inchディスプレイテレビで、RGB21ピンとビデオ入力が1つずつ付いていました。もちろんリモコン付きです。
 ところが機械そのものは正常だったのですが、前面のスイッチ部分を隠すカバーが付いていませんでした。使用に特に問題はないのですが、一応クレームを入れたところすぐに送ってくれました。その時、お詫びのつもりなんでしょうが、一緒になかなかかわいい犬のぬいぐるみが入っていました。どうも何かの商品のおまけの余った物のようでした。結構好きなので、なかなかうれしかったのを覚えています。

 プログラムは相変わらずBasicで作っていました。私がいつまでもBasicをやっていた理由は、1つにはやはりベーマガの存在がありました。マシン語を使ったプログラムも載りますが、基本はやはりオールBasic。発表する場があるというのはやる気が出るという意味でも重要なことで、その場であるベーマガがBasicをメインとしているために私もBasicをやっている、という感じでした。もう1つの理由としては、私の向上心のなさというか、めんどくさがりやの性格というか。不幸なことに、直接の友達に自分よりパソコンやプログラミングに詳しい人に出会えなかったため、Basicでプログラムが組めるという時点で満足してしまっていた感がありました。
 いくつかオールBasicでゲームを作りベーマガに投稿したのですが、MSX2では結局載りませんでした。センスが無いというのは自分でも感じていましたが。
 そんな中で1つ、マシン語で専用のスクロールプログラムを製作し、それを使ったゲームを作成したことがありました。ほぼ完成し、後はバランス調整とバグ取りくらいだったのですが、ディスクがクラッシュ。どうもFATが壊れてしまったようで、1部のファイル以外読むこともできなくなっていました。当然作成中のゲームも。バックアップなど当然取っているわけはなく、プリントアウトもしていませんでした。このときのショックは今でも忘れられません。このディスクはその後フォーマットしてしまい、もう1度はじめから作り直す気力もわかなかったため、この初のマシン語使用で完成しそうだったソフトはそのまま闇に葬られることになってしまいました。
 その後レイドック2がやりたくて友達にMSX2+を借りたことがあるのですが、その時に作ったMSX2+専用のゲームが、私のベーマガへのゲーム初掲載になりました。MSX2+なので競争率が低かったんだろうと言う気がしないでもないですが、もちろん大変うれしかったです。

 FATという言葉が出てきましたが、MSXのFDのフォーマットはMS-DOSと互換性がありました。というより、初期のMS-DOSを元にしたMSX-DOSというソフトがありました。PC-9801などはBasicとMS-DOSでフォーマットが違ったらしいですが、MSXではマイクロソフトが規格に参加しているだけあってそんなことはなく、BasicでもMSX-DOSでも同じフォーマットでした。
 このMSX-DOSはF1ツールディスクにひっそりと入っていたのですが、当時の私はOSに関する知識が全くなく、なにをするための物なのかさっぱりわかっていませんでした。その後ある本に書いてあったのをちょっと読み、バッチファイルについてだけ理解できたので今度は、「バッチファイルというのを作ってファイル操作を便利にするための命令を増やしていける、ファイル管理ツール」みたいに思っていました。でも、「Basicでいいじゃん」とも思ってました。当時はMSX-DOS上で動作させるアプリケーションなんて(知ら)なかったので、仕方がないのですが。
 その後MSX-DOS2というのが、RAM付きのカートリッジで出ました。RAMが(少)ないのもあったように思います。これはそれなりに雑誌等で話題にされ、これ用のC言語やアセンブラなどが出ました。私も一時期はCかアセンブラのために買おうかと思いましたが、当時の私にはおいそれと買える値段ではなかったため、結局買いませんでした。

 MSX2のBasicは普通のMicrosoft Basicなのですが、その命令の中ですごく強力で好きだった命令がありました。それがCOPY命令です。
 これは「COPY 元 TO 先」で指定するのですが、元や先にはVRAM、配列変数、ファイルの3つの中から指定できました。それと同時に論理演算や描画方向、透明色を考えた転送などが指定できる大変便利で強力な命令でした。これのおかげでグラフィックを扱うプログラムが楽だったのはもちろん、以外にめんどうな配列変数の一括セーブなどが命令1つで出来ました。
 後にX68000のX-Basicに移行したときも、これに相当する命令がなかったために「うぅ。MSX2のBasicのが便利じゃんかぁ」とか思っていました。

 他のMSX2-Basicのおもしろい点としては、割り込みに関する命令がいくつかあることでしょうか。
 例えば「ON INTERVAL GOSUB」は、60分のn秒単位に割り込みをかけて指定したサブルーチンを呼ぶという機能です。BGMを実現するのに使ったような気がします。
 「ON ERROR GOTO」は、エラーが出たらその行へ飛ぶという命令です。でもあまり使った記憶がありません。
 あと、A1のところで話を出した「ON SPRITE GOSUB」や、ファンクションキーで割り込みをかける「ON KEY GOSUB」、CTRL+STOPで割り込みをかける「ON STOP GOSUB」などがありました。
 そういえばMSXでSTOPキーを押すと1時停止になりました。いわゆるBreakをするためにはCTRL+STOPを押す必要があるのが変わってたように思います。

 MSX2の音源はPSG3声だというのは前に書きましたが、それを拡張するものとしてPanasonicからFS-CA1(MSX-AUDIO)というのが出ました。これは、FM音源(9声)とPCM音源(1声)を積んだ物で、FM音源はモノラルだったことも含めてX68000に質的にかなわなかったものの、PCM音源はX68000よりも良い物を積んだなかなかすごい物でした。しかしその形状は、横幅がFS-A1と同じだけあり、A1の上のカートリッジスロットに挿したときにデザイン上もっともぴったりくるもので、挿すとキーボードの奥に横長の壁が出来るような感じでした。ノートパソコンの液晶を上半分切り取った感じでしょうか。この異様なまでに大きく、特異な形状のカートリッジは当時のFS-A1シリーズ以外にはデザイン上マッチせず、物理的に使えない機種も多くありました。FS-A1シリーズを買わせるためにわざとやったのではないかという話も出たくらいです。PCM用のRAMを多く積むために大きなカートリッジになったという説もあるようですが、そのために値段が高く、対応ソフトもほとんど出ず、ゲームをするだけだった大半のユーザーに無視されてしまったようでした。
 これとは別に、これまたPanasonicからパナアミューズメントカートリッジ(通称PAC)というカートリッジが出ました。これはSONY PlayStationのメモリーカードなどとコンセプト的に同じ物で、中で8ブロック(?)ほどに分かれたセーブ領域にゲームのデータをセーブできるというS-RAMカートリッジでした。しかしこれも、カートリッジそのものの値段はそれほど高くなかったのですが、対応ソフトがほとんどでませんでした。
FM PAC  これらの反省をふまえた、のかどうかは知りませんが、PanasonicからPACに安いFM音源を付けたFM音源付きゲーム用S-RAMカートリッジ(通称FMPAC)が出ました。このカートリッジはちょっと縦長なだけで形状的には問題なく、値段も7800円かなんかそれくらいで高くなく、このFM音源(MSX-MUSIC)に対応したゲームが増えるにつれて爆発的に普及し、MSXシリーズ用音源のディファクトスタンダードになってしまいました。名称から言ってS-RAMがメインのように思えるのですが、普及した割にS-RAM対応ゲームはそれほど増えなかったようにも思います。MSXのゲームはアクションが多かったからなのか、それともこの頃にはFD版のゲームも多く出ていたからなのかはよくわかりません。コナミが対応ソフトを出さなかったというのも、そう感じさせる大きな要因の1つかもしれません。シミュレーションゲームなどには容量が少なかったようですし。

 私はまだ対応ソフトの少ない、比較的初期の頃にFMPACを購入しました。そのため他のMSX2ユーザーな友人達に、「えぇー、そんなの買ったのぉ?もったいない」と言われてしまいました。
 しかし対応ソフトは増え続け、コナミ以外の多くのメーカーのゲームが対応するようになると批判的だった友人達も購入していき、私が先見の明を持っていたことが証明されました(?)。
 MSX-MUSICはFM9声+PSG3声の計12重和音を出せるので、私がFMPACを買って最初に作ったのは12重和音の「かえるの合唱」でした。延々繰り返すのではなく、一応「ジャン」って感じで落ちを付けて終わらすようにしてあったりました。それまでずっとPSGのみだったのでなかなか感動ものでした。

 この当時結構ゲームミュージックがはやっていたように思います。アーケードゲームの音源スペックが上がったこと、パソコンではイースなどの単独でも十分鑑賞に堪えうる音楽が出てきたことなどがきっかけとなったのでしょう。ゲームミュージックのCDが次々と発売され、私も友達から借りたり、自分で買ったりしてよく聞きました。
 そこで私も何となく、MSX-MUSICでゲームミュージックをならそうと音楽の打ち込みを始めたりしました。音楽の出来る人はCDを聞きながらそれを楽譜に落としていく「音取り」とか「耳コピ」とか言われることをするようですが、私にはとてもそんなことの出来る耳はありません。しかし、CDには全曲ではないものの楽譜が付いている物も多かったですし、ベーマガに楽譜が載ることも多かったので、それらをMMLに変換していくという方法で打ち込みしてました。
 何曲か作って、そこそこかなと思えた物はベーマガに投稿してみたりしました。友達にそのことを話すと聞きたいというのでディスクを渡すことになりました。どうせだからということで、そのディスクはMSX-DOSが起動してからBasicのタイトルのプログラムが立ち上がるようにしました。これは、FD版のゲームの中に若干MSX-DOSの起動画面を見せてそこから立ち上がる物があったため、それっぽい雰囲気を出すためです。しかし実際にはAUTOEXEC.BATでいきなりBasicへ飛んでしまうのでかっこだけの全く無駄な処理でした。タイトルもパレットを駆使してちょっとこった物を作ってみたりしました。友達2人ほどにこのディスクを渡したのですが、タイトルがかなり評判が良く、また、最初のMSX-DOSの画面は何か最初にDOSで処理を行っていると思ってもらえたらしくて、私の思惑通りという感じでした。
 その後私が何か音楽のプログラムを作る度にこのディスクに加えて友達に渡すようになりました。また音楽プログラム作成支援のプログラムを作って入れたり、文章を書いてそれを画面で見れるようにもしたので、ちょっとした不定期のディスクマガジンのようになってました。ただし漢字が使えないのでかなり読みにくかったと思います。このときに読みやすいように文章に句読点を多く入れるようにしていたのですが、それ以来私は文章を書くとひどく多くの句読点を入れる癖が付いてしまいました。
 私の影響を受けてか、友達も音楽のプログラムを作ったり、雑誌に載っていた物を打ち込んだりしたので、最終的にはかなりの曲数になったと思います。

 私は初めは全部Basicで作っていたのですが、マシン語を使用してPSGでドラムを表現するプログラムを作成して、それを使ったゲームミュージックのプログラムを作成しました。このマシン語プログラムは、PSGでPSGのノイズの制御やポルタメント(だっけ?音程が連続的に下がっていくの)を行うための物です。これを実現するために私は垂直帰線割り込みを使いましたが、いまだにこういう時に使う割り込みはもっと適切なのがあったんではないかと思ってます。MSXにタイマー割り込みがあったのかどうかというのは知らないのですが。
 この音楽プログラムはMMLの方もかなり力を入れて作ったためか、その甲斐あってベーマガに掲載されました。実は私のベーマガ初掲載はこのゲームミュージックのプログラムだったりします。初掲載で、しかもマシン語プログラム付き。コメントは確かGORRYさんだったと思うのですが、「ちゃんとめがてんしてる」という感じでどちらかと言えばお褒めのお言葉だったし、友人達も喜んでくれたので私はもううれしくて天にも昇る気持ちでした。ほんとに。
 その後、ゲームミュージックのプログラムだけを集めたベーマガの別冊みたいな本にも何本か掲載されました。こちらに付いていたコメントはいまいちだったのですが、載ったということは最低水準には達しているということで納得してました。本誌に載った物よりも前に投稿した物でしたし。

 素人な自分にもベーマガに掲載されるような音楽のプログラムが作れた理由として、MSX-MUSICの中途半端な性能のおかげがあると思います。
 まず音色にすごく制限がありました。自由に使えるのは初めから入っている音色の中の15色だけで、ユーザーが定義できるのも1色だけ。自由に使える15色以外は、初めから定義されている制限付きの音色とユーザー定義の音色の中から1度に1つしか使えませんでした。そのため逆に、ユーザー定義の音色をうまく作れない自分でも、それほど遜色ないものが作れたのだと思います。
 またFMが9声もあり、普通はFM6声+リズム3声のモードでやるのですが、同時発声和音数が多いために素人でも比較的楽譜どおりに作ることができて作りやすかったと思います。
 もちろんすごい人には全然かなわないのですが、比較的最低水準をクリアしやすかったのではないかと思います。

 音楽と言えば、MSXにもMIDIカートリッジが出ました。しかし、ナムコがMIDI対応でドラゴンスピリットを出すようなことを言っていたのに結局出ず、おそらくツールが1〜2個くらい出ただけで終わってしまったのではないかと思います。
 また、コナミのスナッチャーに付いていたSCCカートリッジを利用する音源ドライバもベーマガに発表されました。しかし当然のようにプログラムが大変長かったためか、それ用の音楽プログラムはほとんど掲載されなかったように思います。

 それまではずっとハンドアセンブルでマシン語をやっていたのですが、アスキーから安いアセンブラが出ているのを発見したのでそれを購入してみました。
 最初に作ったのはMSX2を買って最初にスプライトを使って作った簡単な対戦ゲームでした。しかし、速度差を見るためにわざとウェイトを入れなかったため、速すぎてゲームになってませんでした。当たり前ですが。
 MSXのBasicにはCMD(あと確かIPL)という未使用の予約語がありました。これのフックを書き換えて自分のプログラムに飛ぶようにすれば、自分でBasicの命令を増やすことが出来るようになっていました。そこでこれを利用して、MSX2-Basicではなぜかサポートされてなかった縦スクロールを制御する命令を作ってみたりしました。バックグラウンドで勝手にスクロールするようにしてみたりして。しかしこれを使った物は作りませんでしたけど。

 MSXシリーズは、MSX2のあとMSX2+というのが出ました。MSX2+は横スクロールのサポートと19268色モードの追加、規格としてMSX-MUSICの採用といった点が変わりました。
 MSX2は縦スクロールしかできなかったため、ゲームユーザーの多かったMSXにとって横スクロールのサポートは重要なことでした。しかしこれはやはりMSX2で採用すべきだったようです。MSX2+発売直後にいくつかのメーカーが専用ソフトを出したものの、MSX2ユーザーがほとんどの状況ではそれも続かず、この程度の機能差では買い換えも見込めず、その後はいくつかのゲームでMSX2+だと横スクロールがなめらかになる、といった程度の対応しかされませんでした。
 一見目玉に見えた19268色モードも、実際には横何ドットかでひとかたまりとしてしか色指定できず、ゲームのタイトルなどでMSX2+ならきれいな取り込み画像を見せる、という程度の差別化くらいにしか使われませんでした。一応このモードに対応したお絵描きソフトも出たようですが、手軽なお絵描きというふうには行かなかったことでしょう。
 このころはすでにPC-9801やX68000などの16bitマシンに時代が移りつつあり、せっかく上位機種を出したのに処理速度を全く上げなかったのも私をがっかりさせた点です。
 この段階でMSX3といえるような機種を出していればMSXももっとおもしろいパソコンになっていたかもしれないなんて思います。互換性の問題もあるし、家電品というその性質上家庭用テレビを捨てるわけにはいかないので、値段的にゲーム機と勝負できない以上無駄かもしれませんが。
 この段階ですでにMSXをやっているのはPanasonicとSONYとサンヨーくらいになっていましたが、MSXシリーズそのものにまだ人気があったので、MSX2+も結構売れたんではないかと思います。友達も何人か持ってました。

 その後MSX TurboRというのが出ました。私はこれが出る直前にX68000に寝返ってしまったのであまり詳しく知らないのですが、CPUがR何とかというZ80互換の16bitCPUになり、 PCM音源も標準装備したようです。グラフィックの能力が変わったかどうかは記憶していません。
 しかし残念ながらこの時点ではもうMSXシリーズはかなり衰退しており、TurboRもPanasonicしかマシンを出さなかったようでした。機能的にはなかなか良いマシンのようでしたので、これがMSX2+の時点で出ていればと思わざるを得ませんでした。

 ハードウェアとしてのMSXはTurboRで終わってしまいましたが、MSXのディープなファン達が「MSXエミュレーター」という他のパソコンでMSX用のソフトを動かしてしまおうというソフトを開発しています。日本でメジャーな最近のパソコンにはほとんど対応しているので、パソコンの統一規格というMSXの精神がユーザーによって受け継がれているようにも感じられます。Javaよりも対応機種は多いようなので、独自に拡張した規格を立てればJavaの向こうを張る裏の統一規格になるかもしれません。Javaとはコンセプトが違いますが。

 MSX2とは結局3年半ほどのつきあいでした。MSXはその普及率と人気のおかげでソフトもハードも安くて種類が豊富にあったというのが魅力の1つだったと思います。あとグラフィック関係の機能が豊富で、VDP命令でVDPを直接たたいて何に使うのかわからないような機能をいろいろ試してみるのも楽しかったです。多くのユーザーはゲームオンリーだったのではないかと思いますが、ユーザーが多いので雑誌などでもいろいろな話題が出て、パワーユーザーによるおもしろい試み、例えばカセットインターフェースを使った1bitサンプリングなども出て、楽しかったと思います。私もプログラムを入力してサンプリングしましたが、ノイズがひどくてとても実用にはなりませんでした。しかし、サンプリングできるというそのこと自体がおもしろくて、結構遊びました。
 さらに周りにも何人かユーザーがいて、「友達と同じパソコンを使っていく楽しみ」みたいな物を感じられたパソコンでもありました。
 MSX2は私にとって「みんなと楽しく遊べるパソコン」だったように思います。


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