「FM-TOWNS」からの続き。
Townsの設計趣旨
Saiey さんのコメント
(1998/3/11 09:29:29)
初め出たときはX68000の対抗機種だと思ってました。でも、スペックを知るにつれ、PC-9801対抗なんだなって思いました。つまり、マルチメディアなPC-9801というんでしょうか、のちのPC-9821とかに考え方が近いのかもしれません。TEXT画面がなかったり、事実上グラフィック画面が1枚のみな感じなのは、GUIの時代を想定していたからだと思います。CD-ROMを標準搭載したことも含めて、未来を見据えたマシンだったんじゃないかと。
なーんて思ってますが、どうでしょう?
X68000がPC-98との対抗上ゲームに注力したっていう話が宮永さんのコラムに書いてありましたが、X68kがPC-98の苦手な部分を狙ったの対して、TOWNSは「Super PC-98」、つまりPC-9801と同じ部分を(も?)狙って、結局それが中途半端に感じさせて、失敗(?)したと。自分はそんなふうに思ってます。
でも・・・
あきよし さんのコメント
(1998/3/11 12:06:10)
当時、経済紙のコラムで富士通の社長が連載を持っていまして、
「SHARP さんが 16bit のホビーコンピューターを出したから、うちの技術者は悔しい思いをした。
そこで、うちでは 8bit の経験しかないが、16bit を飛ばして 32bit で行こうと言うことになった」
というようなことを書いていましたよ。
これを見る限りでは、 X68kの影響はあったのだと思います。
ただ、対抗するからにはすぐに商品を出さなくてはならないことから、ベースマシンに既存の FM-R を選んだのではないかと思っています。
そして、FM-R をベースにした以上は、ビジネス機っぽい部分を引きずりながらホビーにしなくてはならず、設計が中途半端になったのかと。
でも、先進性は十分ありました。
Microsoft が、後に「MPC 規格」を定めたとき、その規格を標準で満たしている唯一のパソコンが FM-Towns だったというのは、結構有名な話です。
FM-R Base
Saiey さんのコメント
(1998/3/11 12:27:12)
X68000の影響が全くなかった、とはもちろん思ってませんけど、うーん・・・。FM-Rがベースにあるあたりが、「Super PC-98」を思わせたのかもしれませんね。
Townsは
(FM-R+X68000)/2
とかいう感じで、この「/2」があるから中途半端になってしまったんだ・・・なんてね。(^^;
MPC規格準拠ってよく書いてありましたけど、「それ準拠してるとどんな良いことがあるの?」って感じでした。当時は。
最後の挑戦者 (5):友達のTOWNS Life
Saiey さんのコメント
(1998/3/13 13:45:13)
友達も弟と同じTOWNSを買いました。私はX68000を勧めていたのですが、TVで宣伝してないこともあってマイナーなイメージを拭いきれなかったらしいことと、たまたま親とお店でパソコンを見ていて、急に「パソコンほしいんだろ?買ってやろうか?」みたいな話になったときにあったのがTOWNSだったのでTOWNSを買ったという話でした。そんな急にその場の話でパソコンを買ってもらえるなんて、うらやましい話です。しかし、素人がその場の流れで急に買うことになったのと、その店員がいまいちだったためでしょう、当時個人向けのプリンタは熱転写方式が主流だし、安いし、使いやすかったと思うのですが、店員の薦めで買ったのはやたら大きなドットインパクトプリンタ。しかも穴あきロール紙を使うタイプでした。うるさくて夜使えないって嘆いてました。キーボードはテンキーなしのタイプ。テンキーだけのを買って付けたいなとか言ってました。
またその時友達は、C言語がやりたいと言ったそうなんですが、店員曰く「TOWNSにC言語はない」。それで、似たような構造化言語だからということなのかどうかわかりませんが、Quick BASIC(だと思いました)を勧められ、買ってしまっていました。TOWNSはBASICが別売りだと思いましたが、しかし、BASICを勧めるならやっぱりF-BASICがTOWNSの基本です。しかもそれ以前の問題として、その時すでにうちにはHi-CというCコンパイラーがあり、使われていました。つまりTOWNSにC言語の環境は当時ちゃんとあったわけです。
いままでMSX2+でゲームするだけだった初心者な友達はその店員にだまされっぱなしで、しかもせっかく買ったBASICはほとんど使わずじまい。なぜならこのBASICは、本来FM-R用で、TOWNSの豊富な機能が全くサポートされてませんでした。線を引いたりといった、グラフを書いたりするのに便利な機能は用意されていましたが、32k色モードやスプライトなんて、マニュアルを見ても言葉すら出てきません。ハードを直接たたくとか、もしかしてTOWNS用の拡張キットがあるとか、何か方法があったのかもしれませんが、超初心者の友達にそんなことがわかるわけがありません。結局この友達はプログラムをやるという意欲を失い、単なるゲーマーになってしまいました。
TOWNSをとりまく環境
ma3 さんのコメント
(1998/3/13 14:46:41)
すべては結局、Oh!誌一本に集約されていた、と言っても過言ではないでしょう。つまりOh!誌を読んでないと何もわからない。
Oh!誌に書いてあっても、店に置いてないものはやたら高価だったりして、普通の人の目に触れることもなかったり。(LAN環境なんかがその典型です)
しかもFMVが発売された頃以降には、Oh!誌もWinの記事だらけになってしまいました。
プログラム記事も、連載されてはいたんですが、有用なことは書いてあるんですが、やっぱり???な感じでした。
開発言語にしても、F-BASIC386は、MSX2から入ってきた私にしてはやっぱり???でした。自分で思うところの欲しい機能がなくて、それをカバーする方法もなくて、結局大したものは何も作れませんでした。
68の影響
ma3 さんのコメント
(1998/3/13 15:17:02)
影響を受けたのに68ライクな設計にしなくて、それでいて68のような市場が求められたから破綻したんでしょうね。
68の設計を、きちんと研究しなかったのかも。
TOWNSで多重スクロールやラスタースクロールを行うことの難しさを説明するのには、よく苦労します。
TOWNSとビデオカード
ma3 さんのコメント
(1998/3/13 15:20:56)
「MASL」という98用のフリーの動画ソフトが流行したことがありましたが、これの元絵のキャプチャには当初TOWNS+ビデオカードがよく使われていました。
TOWNSのビデオカードは秒間に取り込めるコマ数が多く、遊び道具としてはかなり人気があったようです。
「ビデオカードを積極的に売り込まなかったのは富士通の戦略ミスだ」、と言う人もいます。
ラスタースクロール
Saiey さんのコメント
(1998/3/13 16:52:11)
ぜひ、どう難しいか説明してください。(^^;
ラスタ
ma3 さんのコメント
(1998/3/16 16:59:41)
簡単に言うと、HSYNC割り込みがないのです:)
だからやるとしたら、力技onlyです。
スプライトのパターンで持つという手もありましたが(^^;)
最後の挑戦者 (6):ゲーム
Saiey さんのコメント
(1998/4/9 10:28:56)
ある時、たしかシュバルツシルトとか何とかというゲームだと思いましたが、「ゲームを買ったんだけどユーザーディスクの作成がうまくいかない」と友達が言うので行ってみました。フォーマットしたディスクを用意して、ゲームを立ち上げて、ユーザーディスクを作成する。別に問題なさそうなのに、何かファイルが見つからないというようなエラーが出ます。しかもよく見ると、そのファイルをユーザーディスクの中から見つけだそうとして失敗しているようでした。フォーマットしたてのディスクにファイルを要求するなんて不可解な動作をするソフトにちょっとあきれつつ、CD-ROMの中にそのファイルを見つけたのでコピーしてみました。すると今度はまた別のファイルを要求してきたのでそれもコピー。今度はまた別の・・・(^^;。
ふとひらめいて、もう1度フォーマットして、そのときにボリュームラベルをなしにしてみました。すると今度は何の問題もなくユーザーディスクが作成され、ゲームを始めることが出来ました。で、その出来たディスクのボリュームラベルを見て、「やっぱり」。フォーマットはTOWNS OSのシェルで行ったのですが、その時のディフォルトのボリュームラベルと、ユーザーディスク作成時に付けられるボリュームラベルが同じで、たしか「USERDISK」になってました。ゲームソフトの方は、ユーザーディスクを見たときにボリュームラベルだけを見て、それがすでにユーザーディスクになっているかどうかを判断していたようです。当時は通信等をやってなかったので知りませんが、結構問題になったのではないでしょうか?
敷居が高い…。
G.T.II さんのコメント
(1998/10/12 17:42:52 - E-Mail)
ma3さん(1998/3/13 15:17:02)
>すべては結局、Oh!誌一本に集約されていた、と言っても過言ではないでしょう。つまりOh!誌を読んでないと何もわからない。
ユーザーの一人として、フリーソフトの有名なツールを手に入れるのと、Oh!誌を手に入れるのが、おそすぎました(^^;;;
Oh!誌の休刊後に富士通プラザで過去のOh!誌を見たらTOWNSが出た後に如実にプログラム記事が減っているんですね…(ToT)
Towns の思い出。
[たけ] さんのコメント
(1998/11/6 01:03:46 - E-Mail)
始めまして。 初代 1F を所有してた経歴があります。
スプライトは開発当初搭載されていませんでした。 ところが、CSKアフターバーナー制作チームから、
「スプライト機能が無いと、とてもキツイ」との忠告を受け、スプライト機能を追加したとの事です。
また、Towns-OSにコンソール機能が無いのがあきれました。 Towns-OS は、 MS-DOS に DOS
エクステンダのシェルもどきを被せただけのものなのですが、T-VRAM が無いためにわざわざ CON デバイスを
潰してあるようでした。 仕方ないので Towns 用の MS-DOS を購入しました。
Towns の TEXT は仮想 VRAM であり、ちょうど PC-98LT と同じ構造です。 また、当時 PC-9801 で
稼動していた Windows/386 の DOS 窓も同じ仮想 VRAM 構造でマルチ DOS 画面を実現しており、
スクリーンエディタ MIFES のスクロールのモタつき具合が 9801RAの Windows386 と Towns の DOS で
同じところが笑えました。
(シングルタスクで劇重の Towns って、いったい ...)
開発言語ですが、私は発表と同時に購入したのですが、すでに初代 X68 ユーザーであった私は当然
用意されているものと思っていました。
ところが何も無く、あるのは純正 F-BASIC386 と、
Lucid-ASM というアセンブラが発売予定でした。
仕方なく F-BASIC386 を購入、Lucid-ASM を予約購入したのですが、これがまいった。
Lucid-ASM はぜんぜん発売されない、F-BASIC386は
当然「コンパイラ」だと思っていたらあ〜らバカみたい、
「インタープリタ」のみ。 別売りBASICの、それもCD-ROMからしか起動できない BASIC インタープリタ
なんて、何の使い道があるというのだ! (FDD 起動できない -> 配布する意味ナシ)
PCMにしたって、同時8音だか16音だか忘れましたが、Waveメモリがたしか 64KB とかいってとてつもなく
小さいので使い道があまりありませんでした。 それなら X68k の、単音でもメインメモリ DMA 転送のが
よっぽど使い道があるというもの。
現に PCM8 による...以下略。
ようやっと Lucid-ASM が届いた頃にはもうその設計の酷さに見切りをつけ、購入時¥50万の Towns を
売りに出そうと業者に電話するも、「3万ですね。」とか言って来る。
そうか、わたしのように「ダマされた」と思って投げ売った輩はゴマンといたのね。(笑)
何件か連絡するうちに「9万、かな?」と言い放った業者がいたので、「あ、売ります。」と即決。
¥50万ものマシンが1年たたずに¥3万とはすごいよな〜。 ¥9万で買ってくれてありがとう。 みたいな。
私は FM-7 ユーザーをしていた事もあって、Tonws を購入してみたのに、こんな売り方(作り方)する
富士通にはあきれました。 本体ユーザー登録はがきにメタクソ書いてやりました。 Townsブルゾン送って来た
けど、もう遅いやい。
どうせなら南野陽子等身大POP送ってきやがれってんだ。
まあ、「教育市場向けソフト」でTownsをネジ込んでいなければ、富士通の大失敗モデルだったでしょう。
って、断言していいのかな。(笑)
まあ、この批判もパソコンに対する「愛」あればこそですから、Towns フリークの方がいましたら、
どうか、怒らないでね。
そんなことないよ?
あきよし さんのコメント
(1998/11/6 12:42:48)
TOWNS-OS の初代は知らないのだけど、VER.2 ではちゃんと DOS に降りる事が出来ましたよ。
DOS窓ではなく、本当に「降りる」だけだったけど、それは Towns OS自体がシェルに過ぎない事を考えればおかしくない事でしょう。
WAVE メモリは確かに小さかったのですが、それだってプログラム手法でカバーできましたよね。
たしかに、X68k のチェインDMAのような美しさはありませんでしたけど・・・
開発環境は、Towns も X68k も、貧弱な物でした。
「発売予定」や、「発売された」もので考えるとね。
でも、発売された開発環境だけで言えば Towns のほうが多岐にわたります。
フリーウェアだって、共にたくさん出ましたしね。
個人的な好みから言えば、僕も X68k が好きです。
だけど、Towns は、あれでなかなか良い設計のマシンですよ :-)
Townsの印象
[たけ] さんのコメント
(1998/11/6 22:39:54 - E-Mail)
たぶん、初代を買った人はそうとう「ヤラレタ」と思ったでしょう。
そうです。初代 Towns-OS は DOS に降りることができませんでした。
初代 Towns-OS と Towns版 MS-DOS を組み合わせて CON 出力できないものか、と色々試した事があります。
それ以降の機種は、環境もキチンと整っていたのでそれなりに楽しめたのではないでしょうか。
当時、¥10以上(¥15万近かった)の ファーラップ社 DOS エクステンダ開発キットも、
富士通からたしか Towns Hitech-C として ¥4万そこそこで売られていたと思います。
しかし、そんな Tonws の開発環境より以前に、シャープのXCを見たり、X68-GCCを見てしまって
いたのでガクゼンとしてしまったのです。
Saiey さんのコメント
(1998/11/9 09:42:09)
TOWNSの(純正?)アセンブラって、アセンブラだけなのに8万円位するんじゃなかったでしたっけ?
んで、Hi-Cって、アセンブラにならないんですよね、確か。
高いよー。(^^;
TOWNSは今でも現役
mae さんのコメント
(1999/9/10 17:26:45)
いろいろ言われるTOWNSですが、初代を買ったときは以前の使用様機種が
PC8801初代だったことがあり感動ものでした。
良かった点
(1)CD−ROMから起動できて、今のプレステ並に簡単に扱える。
linuxもCDから起動できてしまいます。
(2)ゲームをするときにパッドが標準でついてきたのでキーボードで操作するということが無かった。
(3)ビデオカードでテレビの画面が簡単に取り込める。また、テレビにも出力出来る。
などいろいろ有ります。
悪かった点
(1)CD−ROMが遅い。一枚のCDのディレクトリをツリー表示するのに30分位かかることもあった
(2)MS−DOSモードでテキスト表示が遅い。特にスクロールはPC8801並でした。
次に買ったTOWNSfreshEという機種でこの不満は無くなりました。Win95も動くので今でも現役で使っております。
実は
ma3 さんのコメント
(1999/10/10 01:59:42)
少し前から、自分のページで「TownsFAQ」っていう少々マニアックなテキストを公開してます。
内容についての細かい反応が全然こないので、最近あまり更新してないのですが…。
暇な方は見にきてみてください。
High-Cは組み込み向けのコンパイラとして生き残り、現在は86版以外にPPC版とかが出てるようですね。
(組み込み向けの開発言語って、数が出ないもんだから高いです。)
参考リンク
ma3 さんのコメント
(1999/10/10 02:02:03 - Web)
ページ名書かなかいでURLだけ書いたら記録されなかった(^^;)
TOWNSのCONデバイス?
さわ さんのコメント
(1999/10/16 16:33:18)
たしかデフォルトではRS232Cにリダイレクトされてたと思いました。TOWNSのアプリケーション開発はTOWNSの横にTOWNSと繋げたPC98かなんかでターミナ
ルソフトを立ち上げておいてトレースとかさせてました。
コンパイラはHi-Cを使うんですが、FM-RでコンパイルしてTOWNSに持っていて実行するっていう方法が
効率的だった記憶があります。
マシンとモニタが3台必要なんですがとてもTOWNS
1台で開発するもんじゃないなと思ったものです。
タウンズでやる
NAa. さんのコメント
(2000/6/10 16:40:13)
個人的には、Townsは満足なマシンだった。
私が買ったのは、model2+FMT-DP532。
当初開発やろうにもF-BASICも未発売だったし、GEARでアドベンチャーゲームまがいのシロモノを作ってた記憶があります。
その後F-BASIC L10を買って、後にL20でベーシックコンパイラが使えるようになった頃はとにかくプログラム組むのが楽しかったです。
なにしろBASICでちょこっと気軽に書いたプログラムが386プロテクトモードで走るんだから。
世はNECがテキストのスクロールスピードを誇る比較CMを流してるようなお粗末な状況でしたが
TOWNSのフリーソフトで有ったテキストピュワーの、マウス操作による納豆スクロールで読む心地よさ
から見ればどうでもいいことでした。
そいやgccの話出すなら、ぺけ6よりむしろTOWNSの方でしょ?
CD−ROMで配布されてて、非常に便利だった記憶があります。
……とにかく、ここまでシステムソフト(TOWNS OS)がバージョンアップ重ねた機種はないでしょ(笑)
最終的にquick timeまで表示可能になってたのはかなり驚いた。
画面モードが異様に多かったり、PCM8もどきなこともフリーソフトじゃやってたし。
いろいろ遊ばせてもらったし、ま、感謝してるよ。
タウンズ
おぱ さんのコメント
(2001/02/21 16:29:44 - E-Mail)
棒どっかの、ソフトウェアコンクールがあって、
それに応募したら、タウンズ20Fを貸してくれるっていうものがありました。
(高校相手にしたコンクール)
運良く、借りれて、FBASIC386が添付されてて、
わけわからずゲームを作ってました。
また、OhFMを毎号送ってくれて、それを片手に
いろいろやったの覚えています。
で使って行ってより使いやすくと思いいろいろ調べていると、、
DドライブにDOS3.1がROMで搭載されていたので、
(CD−ROMのBOOTも、タウンズ起動直後は、
まずROMの3.10が動いて、CDROMドライバをインストールして、
MSエクステンションだっけ?をロードして、
autoexec.batで、CDの中のソフトを起動してただけ・・・
ふたを開ければ、ただのDOSマシンでした。
32ビットは、DOSエクステンダ経由で、
拡張子EXPの32ビットアプリを起動しただけ?)
Freeで、console.sys
(DOSの2.11移行?は本来MSODS.SYSに内蔵されていたが、
タウンズ用3.10はあえて外付けされていた・・・
これはたんに、DOSの起動画面を出したくなかったから。苦笑)
に置き換わる、コンソールシステムが出まわり、
それを組合わせれば、DOS環境が無料で構築できました。
そして、9801用VZエディターに、FMRようパッチを当てて、
それをタウンズで動かしたり、
FBASIC386にはインタプリタとコンパイラが入っていたので、
それでEXPファイルを作り、
FDにそれらフリーソフトと、もちろんウェイト解除のソフトなどを入れて、
自作ゲームをFD起動するようにして、コンクールに応募しました。
無論、参加賞で終わりでしたが・・・(苦笑)
p.s.
DOSを内蔵する事で、マイクロソフトともめたそうです。
確か2.11より後のバージョンは、バンドリングが許されていなかったとか・・・
ばんどる
Kow さんのコメント
(2001/02/22 18:41:32)
アイドルの仲間じゃないですね。
2.11まではゲームのブート用にあちことで使われてましたね。
それじゃ儲からん〜!とゲイツ君はライセンス制にして
しまいましたとさ。
私が始めてソフトウェアの著作権のことを気にしたのが
これでしたねぇ。
MEG-DOSとかの話はスレッドが違うので置いときませう(笑)
プロコン
ma3 さんのコメント
(2001/05/11 22:39:51)
O文社主催の奴ですね。実は僕のトコもそのクチで、3代目のモニターです。
イジるのには結構はまりまして、TownsMenu1.1L30とF-BASIC386L20を
FDからブートできるようにしたりして。
HDDの必要性を考えたことのなかった時代でした。
そういえば、ランタイム版のF-BASIC386とかTownsGearが、
あちこちにコッソリ付いてたりした記憶も。
コンテストへの気合は全然入らなくて、結局ちょうど移植してあった
テキストベースのクソゲー送ってお茶を濁しました(^^;)
幻のフリコレ1や高価なレイトレソフト(サイクロンエキスプレス)が
送られてきてたりとか、東京ドームのデモ機からの使いまわしを匂わす
シールが外箱にべたべた貼ってあったりとか、コンテスト終わっても
本体を返さなくて良かったりとか、謎も多かったです。
今思うと、バブリーでしたね。
Hi.Man!
Guest さんのコメント
(2001/06/02 10:21:31 - E-Mail)
<<<<<<<<itsDog!!>>>>>>>>
Have nice day!! Good Luck<img src=http://a676.g.akamai.net/f/676/987/12h/lygo.com/ly/dg/music_dog.gif>