創る喜びを

・NEC PC-6001 -1983-

 小学校6年生の時に買ってもらった、我が家で最初のパソコンです。PCー6001にはパピコンなる愛称がありました。NECがそう呼んでいたんです。

 ほとんどの機種でビープ音しか鳴らなかった当時、PSG音源を内蔵して同時に3声発音出来たり、ROMカートリッジが使えたり、家庭用テレビにつなげるためのビデオ出力があったり、ジョイスティック端子が2つついてたりといった、良く言えば多機能な、悪く(?)言えば高いゲーム機のようなマイコンでした。
 しかし、そもそもが「マイコンでゲームを、プログラムを作りたい。」というのが目的でしたので、結果としては正しい選択だったのではないかと。
 ROMカートリッジスロットには、ROM&RAMカートリッジが挿さってました。もともとPC-6001のメモリは16KBしかないのですが、これを挿すことによって、倍の32KBになります。今はこれの1000倍くらいが普通ですか。時代は変わったものです。で、このカートリッジにはROMソケットがついてまして、市販ソフトとして売っている裸のROMを挿すことでそのソフトが使えるという、変わった機能が付いていました。ソフトとしては、機械語モニタやBASICコンパイラーなんかがあったと記憶しています。
 ROMカートリッジのソフトとしてはターミナルソフトなどが出たようです。ゲームも若干出たようですが・・・。

 ソフトのほとんどはカセットテープで出ました。今のような立派なケースに入っているものは少なくて、レーベルにゲームタイトルと適当な絵が描かれているだけのカセットケースにテープが入っている、音楽テープと全く同じように売られているものがたくさんありました。ですから、雑誌等で紹介されていなければ、買ってみないとゲーム内容がわからないという・・・。また今とは違って、オールベーシックなソフトが堂々と売られている、平和な時代でした。
 テープに入ったソフトはNECのデータレコーダーで読み出していました。このデータレコーダーは、この後5〜6年使い続けることになります。
 テープに入ったソフトは、ロードにだいたい5分前後かかりました。「ぴー、ガッガー」なんていうテープの音を聞きながらマニュアルを読むのが、当時のトレンドでした。(うそつけ)(^-^;
 マイコンのソフトが入っているとは言っても、カセットテープには変わりないので、ダブルカセットデッキがあれば複製は簡単でした。マイコンというものがやっと世間に認知されだしたばかりのころの小学生に、著作権なんてことに対する意識などあるわけがなく・・・(以下自主規制)。

 プログラムはBASICで作っていました。主にゲームを作っていましたが、大したものが出来たという記憶はありません。しかしその当時にして、処理速度に不満を持っていました。
 ゲーム以外で記憶にあるのは、キャラクターエディターを作ったことでしょうか。とある本に載っていたマシン語で書かれた、グラフィック画面にキャラクターを高速に表示するプログラムがありまして、それ用のキャラクターを書くツールを作りました。データは16進数でDATA文の形にして出力させたのですが、当時の頭では16進数化の処理が難しく、かなり頭を悩ませた記憶があります。
 このころ「はるみのゲームライブラリ」なる、中にBasicで書かれたゲームのプログラムが載っている本がありました。これを買ってきて打ち込んで遊んでいたこともあります。この「はるみ」さん。今はどうしているんでしょうねぇ。
 また、マシン語入門なる本を買ってきてマシン語にも挑戦したのですが、あえなく玉砕しました。しかし今思えば、あれは本が悪かったように思います。これ以来、技術○論社の入門書が嫌いになりました。

 結局PC−6001とは1年数ヶ月のつきあいでしたが、初めてのパソコンとして思い出深いマイコンです。

- 記憶しているスペック -

  • CPU Z80 4MHz
  • 定価 89800円
  • メモリ 16KB
  • 音源 PSG(トーン3声+ノイズ1声・モノラル)
  • スピーカx1、カートリッジスロットx1、ジョイスティックポートx2、RF出力、ビデオ出力など

- 思い出のソフト -

AX-?シリーズ(アスキー)

 アスキーから出ていたシリーズもので、1本(たしか2980円くらい〜)に4本くらいづつゲームが入っているソフトでした。記憶ではAX-8か9くらいまでは出たはずです。4本くらいは持っていました。その中でもよく遊んだものについて。

ポリス&ギャング
PC-6052

 PC-6001でもっとも遊んだのがこのゲームでしょう。半年以上はこればっかりやってました。
 内容は、固定画面(というより、背景がない)で自機(ギャングの車)を4方向に操作して、アイテム(銀行とか)を取っていきます。敵はパトカーで、同時に何台かいます。ボタンを押すと石を置けて、パトカーはそれに当たると立ち往生します。初めに表示された数だけ、順番に出てくるアイテムを取ればステージクリアです。パトカーが止まったままというボーナスステージもありました。
 単純な内容ですが、それだけに燃えました。何面まであるのかはわかりませんが、10面くらいまでは行ったことがあるような・・・。

 写真は、このゲームで活躍してもらったNEC純正ジョイスティック「PC-6052」です。トリガボタンは1つしかありませんでした。

ブロック崩し

 名前が違うかもしれません。
 このゲーム、球が上の方のブロックに当たるとバーがだんだん小さくなって、最後には球2つ分くらいになってしまいます。そこに当てていくのがまた・・・。
 よく遊んだのですが、難しくて3面くらいまでしか行けなかったと思います。後になって、球数の管理部分がBasicで書かれていることに気づき、球が減らないようにして全面クリアしました。

いわゆるトロン

 名前を忘れてしまいました。動かすと自分のしっぽがのびていって、自分や相手のしっぽに当たったら負けという、あれです。
 スピードが調節できて、最高速にするとほとんど一瞬で勝負が付くのが、子供にはおもしろかったです。

 この中のAX-6では、タイトルデモかなんかで「えーえっくすしっ、くすバイアスキー。えーえっくすしっ、くすバイアスキー。」としゃべるのが印象的でした。

Tiny XEVIOUS(電波マイコンソフト)

 初の移植版XEVIOUSです。ファミコンとどっちが先だったかはわかりませんが、たぶんこっちが先でしょう。なんでもPC-6001の売り上げに貢献したとか、しないとか。
 ディグダグに燃えて以来、ゲーセンに全く行っていなかった私は、この「XEVIOUS」というゲームを知りませんでした。で、ゲーセンのゲームの移植だと聞いて、「Tiny XEVIOUS」というゲームがゲームセンターにあるのかと思っていました。Tinyの意味を調べれば、違うってことに気づいたんでしょうけど。
 今思い出すと、「黄色いゲーム」です。4色のモードで、地面を黄色にしていたためだと思います。アンドアジェネシスは中心しか倒せませんが、ちゃんと浮遊してました。

ポートピア連続殺人事件(エニックス)

 あのドラクエで有名な堀井氏の出世作だと記憶してます。殺人事件を解いて行くアドベンチャーゲームです。当時あらゆる機種に移植されました。
 今ではほとんど見かけない、コマンド入力タイプのゲームでした。当時コマンド選択のゲームはなかったと思いますし、コマンド選択ゲームの走りが、後に出た同じ堀井氏の「軽井沢誘拐案内」だったと記憶しています。コマンド入力は英語で入力するものが多かったのですが、このゲームは日本語(かな文字)で、「みなと いく」とかやるものだったと思います。
 このゲームの途中で暗号を解かなければ進めないのですが、それがわからなくて行き詰まってしまいました。PC-6001版は後から出たからか、他機種とも暗号が違うようでした。結局友人に解いてもらって、ゲームもエンディングを見ました。

フィッシング(?)

 糸を投げると縦スクロールして着水する、トップビューの魚釣りのゲームです。3面に行くと魚に混じって人魚が出てくるので、それを釣るのに燃えました。釣れたかどうかは記憶していません。

タイムマシン(?)

 固定画面のフィールド型アクションゲームでした。フィールド上のどこかにタイムマシンが隠れていて、その場所では方位磁針くるくる回ります。そこで爆弾を爆発させるとタイムマシンがあって、それに乗ればクリア。はずれの場所もある。といった感じのゲームだったと思います。

サブマリン(システムソフト)

 左右から来る潜水艦に機雷を当ててやっつけるゲームです。当時はこのタイプのゲームがいくつもあったようですね。

黄金の墓(ストラッドフォード・コンピュータセンター)

 エジプトが舞台のアドベンチャーゲームです。スフィンクスに「朝は4本足で、昼は2本足で、夜は3本足で」というなぞなぞを出されるのですが、有名ななぞなぞなんですね。当時は知りませんでした。このゲームは自力で解きました。

チョップリフター(ブローダーバンド)

 ヘリコプターのシューティングゲームです。mkII用かも?

ミステリーハウス(マイクロキャビン)

 元祖アドベンチャーゲームとも言えるゲームです。
 コマンドを英語で入力していくので、和英辞典片手にゲームしてました。


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